『タージマハルの衛兵』 
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観劇記 あまご 
2019年12月18日 
 
作:ラジヴ・ジョゼフ
翻訳:小田島創志
演出:小川絵梨子



小川絵梨子演劇芸術監督による「ことぜん」第3弾
「ことぜん」とは「個と全」
一人の個人とそれに対する全体(国家、民族、団体、集団)
との関係性について
考えてみようという企画だそうです
(パンフレット ごあいさつ 小川絵梨子から)

前2作は観ていないのでなんとも言えないのですが
『どん底』は個と集団かな?
『タージマハルの衛兵は』は個と国家=権力との対立
集団社会に生きる個人には
大なり小なり社会との葛藤があります
特に現代は個の意識が高まっていることから
国家権力に対する違和感・抵抗が強くなってきています
ヨーロッパの様々な抗議運動
フランスの年金改革に対する抗議
地球環境破壊に対する抗議
香港における若者たちの半年を超える闘い
その一方で
権力に追随する動きも顕著になっています
いまの日本がまさにそうだと思います
一部だと思うのですが官僚や議員達の
いわゆる忖度
2017年には流行語対象にノミネートされました
忖度は勢いをましているように思います
香港では催涙弾を投げつる警察官
おなじ同世代の仲間ではないか
同世代の仲間よりお上の方が大切なのか
矛盾を感じている警察官もいると思いますけど
権力とは実に不条理な世界です
この芝居
インド・ロシア・トルコ・イラン・韓国・シンガポール・ポルトガル・ブラジル等
世界各地で上演されているそうです
世界中に矛盾が広がっているのですね

あらすじ
(新国立劇場のHPから)
1648年
ムガル帝国のアグラ。
建設中のタージマハルの前。
「建設期間中は誰もタージマハルを見てはならない」と
皇帝からのお達しがあった頃。
ついにタージマハルのお披露目の日の前日
夜通しで警備についている
フマーユーン(成河)とバーブル(亀田佳明)。
二人は幼い頃からの親友であり
現在は軍に入隊をしている。
警備中はタージマハルに背を向け
沈黙のまま直立不動でなくてはならない。
だが
空想家のバーブルは黙っていられなくなり
律儀に立ち続けるフマーユーンに話しかけてしまう。
二人の会話はまるで『ゴドーを待ちながら』の二人のように
もしくは『ローゼンクランツとギルデンスターンは死んだ』の二人のように
とりとめのない言葉の応酬のようでありながら、二人の人間の差を描き出して行く。
やがて二人は
バーブルが不用意に発した一言を発端に
あまりにも理不尽で悲劇的な状況に追い込まれていく。
その先にあるのは......。


この芝居
権力に従順なフマーユーンと
権力に対して無関心で自由な考えをもつバーブル
二人の対決ではなく
そうならざるを得なかつた
小川監督が言うように個人と全体との関係がテーマです
ストーリーとしては?と感じるところもありました
二人が二万人の両腕を切り落とす
そんなことできるのか?
舞台に溢れ広がる血
積み重なり投げ捨てられた手首
・・・・
みごと皇帝の指示を成し遂げた二人が
衛兵から
皇帝の護衛兵になることを夢見て
そうなれば
皇帝を殺害することもできるかも
無邪気に語るバーブル
冗談が宮廷の高官である父に伝わり
フマーユーンがバーブルの両腕を切断
残酷です
どうも血は苦手です
そういえば成河さんがヨカナーンを演じた『サロメ』も
血みどろの舞台でした

さて事件から
10年後
二人がジャングルの木の上に造った基地で
楽しそうに語り合っていました
多分思い出の場所
夢の場面
やがて
ジャングルが消えバーブルもいつの間にかいなくなり
静寂のなかただ一人見張りを続ける
フマーユーン
なにもなかつたかのように
暗闇の中に消えてゆきました
静寂の中に
ラストは
無邪気な亀田さんの笑顔が浮かんでいるようでした

https://youtu.be/DhNqdxlicnk



 

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